透は歩きながら一枚の白い紙を見ていた。
『希望進路調査アンケート』
黒字でそう印字された紙からは、なにやら手のひらに重たさを感じる。
明らかにただの紙ではない感じがする。
透は立ち止まる。
ここに書き付けるのは自分の未来でなくてはいけない。
自分が歩む道でなければいけない。
言ったことや書いたことは実行しなければいけない。
それでなければ意味がない――――――――…
透はまた、ゆっくりと放課後のグランドを歩き出す。
すると、一人の少女がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
その少女を一瞥して
(またか)
とため息をついた。
「あ、あの…島村君」
「なに?」
「あの…」
「…」
「…あ」
透はうつむく少女を横目に歩き出した。
「まっ、待って…くだ、さい」
「なに?」
「やっぱりダメですか?」
「なにが?」
「そ、その…」
もどかしいしゃべり方に耐え切れず、透は先に切り出すことにした。
「オカルト部でしょ?」
「あっ…は、…はい…!」
一瞬だけ少女の顔がほころぶ。
「あの」
「今は受験のほうが大事だと思うんだけど」
「っ…」
痛いところを突かれた、というように、少女はほころんだ顔を歪めた。
「そう、…だよね…ゴメン」
「じゃ」
「…」
少女と透は、背中を向け合って歩き出す。
夕日がアスファルトを強く照り返す、真夏の放課後であった。
透の家は、閑静な住宅街にある。母が騒がしい大通りを嫌い、二年前からここに住んでいる。透としても勉強に身が入って、いい環境ではある。
ただ、姉の佐保子がこの静けさを嫌っていた。
「辛気臭いのよねえ」
それが姉の口癖だった。
姉は弁護士を目指して法律の専門学校に通っていた。ただし不純な理由つきだ。
「ドラマでやってたカラさあ。」初めのうちは冗談だろうと透は笑っていた。しかし、専門学校に通って二年目、まだ姉はそんなことを言い続けている。それでも成績が良いなら何も言うまい。そう、姉の成績は決して良いとはいえなかった。いや、ハッキリ言うべきか。
成績は悪かった。もっとハッキリ言うべきだろうか。
下から数えて四番目だった。
そんな姉を見て透は、ため息をつくばかりである。
家に着いて無言で玄関を開ける。平日は両親は家にはいない。共働きだ。
かといって休日もいない。二人だけで旅行に行ったり食事に行ったりしてしまう。姉と自分にはお金が渡されるだけであった。
玄関には姉がいた。
「あれっ?とおる~」
寝起きにしてはあまりに遅すぎるが、姉の髪の毛はボサボサになっていた。
「今さっき起きたのよ」
心を見透かしたように姉は言った。
「…そう」
「というより起こされたのよ」
「目覚まし時計に?」
「違うわよ。目覚ましなんてかけてないわよ」
つまり起きる気がなかったということだな。
「じゃあドロボウでもはいった」
「うちの三重鍵が開けられるとは思わないわ。しかもこんな静かで辛気臭いところにドロボウなんて…」
でた、姉の口癖だ。
「じゃあ何?」
透はカバンをソファに置き、制服のネクタイを緩めた。
「電話が来たのよ」
「ふぅん」
「出てみたらあんたへの用件だったわ」
「塾の勧誘とか?」
「勧誘はあってる。えと、なんだったかな。森井さん…」
名前を聞いただけで頭の中に一つの単語が自然に入ってきた。
「オカルト研究部」
「あ、そうそう。それ。」
「放課後にも別の部員が誘ってきた。」
「オカルトって、あんたが前入ってた部活よねえ?もう退部したんでしょ?」
「ああ。俺が入ってちょうど5人だったんだけど、退部して4人になったから廃部の危機なんだってさ。それで『名前だけでも』って」
「名前だけでも…ねえ。戻ってやればいいじゃん?」
俺は冷蔵庫をガタンと開けて麦茶を取り出した。
「名前なんて嘘だ。学園祭前に借り出されるに決まってる」
「嫌な子!」
姉は一言そういってクルリと身を翻し、階段を駆け上って、二階にある自分の部屋に入っていった。
バタンと扉を閉める音が家に響く。
俺はフウと一息ついてから麦茶を飲み干す。
「テスト勉強したほうがいいか」
期末テストまであと二週間あった。まわりは余裕をかましてヘラヘラしているが、そんなわけにはいかない。自分は中学三年の受験生だ。学校のテストも受験勉強も大事だ。
おろそかにはできない。
緩めたネクタイをスルリとほどき、カバンを持って二階に行く。
姉の部屋の前を通ると、音楽がジャカジャカと大音量でかけられていた。俺は注意しようと姉の部屋のドアをノックをする。
しかし、大音量でかき消されて聞こえていないのか、それとも聞こえないフリをしているのか、返事がなかった。俺は、まあいいや、と自分の部屋に入った。
いつもはそんな日の繰り返し。
繰り返し、繰り返し…
しかし、二週間後の期末テスト、俺は目を見張った。
ぬかりなく勉強していたはずだ。
見落としたはずなんかなかった。
完璧に理解した。暗記した。
なのに――――――
キープしていた五位以内をとれなかった、どころではない。
結果は学年25位。
最悪だ。
俺は決めた。
つづく